【まとめ】ストリートダンスとヒップホップダンスの歴史
こんにちは。ダンサーの YUUNOSUKE です。
ストリートダンスには、どんな種類があるのでしょうか?ダンスジャンル によって、その成り立ちや、歴史があります。
下記の記事で、色々なダンスジャンルを解説しているので、よかったら参考にしてみて下さい。
ヒップホップダンス、ブレイクダンス、社交ダンス、ジャズダンス、モダンダンス、バレエ、タップダンス、ベリーダンス、フォークダンス、エアロビクス、、色々なダンスが世の中に存在しますが、ここでは、ストリートダンスとヒップホップダンスの歴史を中心に、解説していきたいと思います。
目次
ストリートダンスと黒人文化
ダンスは基本、踊りと音楽がセットです。
音楽シーンの変化により、ダンスも変化してきています。
ストリートダンスと、アメリカ黒人音楽(ブラックミュージック)、黒人文化(ブラックカルチャー)の、3つの要素は、とても深いつながりがあるので、それをまじえて話していきます。
生まれ持ってのリズム感を持ち、飛んだり、走るなどの身体能力にたけているアメリカ黒人ですが、皆さんもご存じのとおり、長い間、差別と貧困の中で生活してきました。
その、持って生まれた才能を、スポーツ、音楽、ダンスなどで活かしていくことが、存在をアピールする近道とされました。でも、そこには待遇の差別があり、見せ物的な舞台も、少なくありませんでした。
1930年代の、アメリカ、ニューヨーク(New York)のハーレム(Harlem)では、ナイトクラブで黒人芸能を売物として、その時代の有名なアーティストを出演させていました。
スウィングジャズ演奏と、Jive(ジャイブ)や、タップダンス で、白人社交界の夜をいろどっていました。その中で、キャブ・キャロウェイ(Cab Calloway)、タップダンス兄弟のニコラス・ブラザース(Nicholas Brothers)フレッド・アステア(Fred Astaire)、ジーン・ケリー(Gene Kelly)はとても有名です。
彼らのダンスはワイルドで、身体能力をフルに活かした、足さばきや、ジャンプの動作など、黒人らしい個性、キレ、ステップが、多くの黒人ダンサーに受け継がれていきます。
その後、1964年に、マーティン・ルーサー・キングJrが、ノーベル平和賞を受賞、1965年には、投票権法が制定されたり、激動の時代を経て、1970年代以降、やっと黒人の時代が切り開かれました。
1970年代(アメリカ東海岸)
1970年代の中頃、ニューヨーク市、ブロンクスのDJ(ディージェー)を中心とした若者たちが、新しい表現様式を発信しはじめました。これが、盛り上がって形になるのが、1970年代の後期で、世界的なディスコブームの到来です。
すでに、巨大化したディスコ産業ですが、こうした時代の流れとは離れ、ブロンクスに住む若者たちは、純粋にビートの進化や表現手法にこだわりました。
ディスコ時代に、遊びに行くお金がない、貧しいアフリカ系アメリカ人の若者達は、公園に集まってパーティー(ブロックパーティー)をするようになります。
アフロアメリカン、ヒスパニック系、カリビアンアメリカン、が集まるブロックパーティーから発信するものを、若者達は、HIPHOP(ヒップホップ) と呼びました。
HIPHOPという言葉の語源や、意味ははっきり定義されていないですが、HIP(ヒップ)という言葉は、スラングで、クールの意味に近いです。日本語でいうと、「流行な」や「格好いい」という意味になります。
HOP(ホップ)は、「跳ぶ」、「跳躍する」という意味で、音楽やダンスだけじゃなく、ファッション、アートを含めた「黒人の創造性文化」をという意味を込めて、HIPHOP(ヒップホップ)と名付けられました。
「HIPHOP」という言葉は、HIPHOP創始者の1人でもある、DJ アフリカ・バンバータが作り出した造語で、「RAP/MC(ラップ)」「DJ(ディージェー)」「BREAKIN’(ブレイクダンス)」「GRAFFITI(グラフィティ)」の4つの要素で構成された、創造性を象徴した文化(サブカルチャー)を指します。
街角の壁などをキャンバスにスプレー缶で描かれる、グラフィティ(GRAFFITI)、DJは街頭から電源をとって、3人のHIPHOP創始者の1人である、DJ クール・ハーク(Kool Herc) は、数小節のブレイクビーツ(BREAK BEATS)をくり返しループ(LOOP)させる音楽を考えました。そして、路上に段ボールなどを敷いてつくられたダンススペースで、ダンサーたちは、それに合わせて、Breakin’(ブレイクダンス) を踊りました。
※クール・ハーク 参考:ヒップホップ文化のはじまり〜グランドマスター・フラッシュとターンテーブルの奇跡の出会い
また、レコードをこする音、スクラッチ(SCRATCH)をして、MCと呼ばれるラッパーが、そのリズムで韻(RHYME)をふみ、喋るラップ(RAP)を披露しました。
また、HIPHOP創始者の3人のうちの、DJ アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa) は「Zulu Nation(ズール・ネイション)」を結成、貧しさゆえの暴力やドラッグ組織への関与に反対し、自由、正義、愛などを唱え、抗争ではなく、ブレイクダンスで争うことを広めました。
※アフリカ・バンバーダ 参考:Rolling Stone(ローリングストーン) 日本版
そして、HIPHOP創始者の最後の1人である、DJ グランド・マスター・フラッシュ(Grandmaster Flash) も、そのスキルとエンターテイメント性の高いプレイで、HIPHOP文化の普及に貢献しました。
※グランド・マスター・フラッシュ 参考:ヒップホップ文化のはじまり〜グランドマスター・フラッシュとターンテーブルの奇跡の出会い
HIPHOPは、アメリカのギャング文化とも関係があると言われていて、抗争で血を流さないために、銃や暴力の代わりとして、ブレイクダンスや、ラップで優劣を競い争ったと言われています。また、ギャングの縄張りを主張したり、情報交換を目的として、グラフィティが使用されていたとも言われています。
1979年になると、シュガーヒル・ギャングというグループの、「ラッパーズ・ディライト(Rapper’s Delight)」というラップ曲が大ヒットしました。この曲が、当時、ラジオやディスコで頻繁にかけられたことで、ヒップホップとラップの存在が、一般社会でも認識されました。
1970年代(アメリカ西海岸)
この頃、黒人による黒人のための番組、SOUL TRAIN(ソウル・トレイン)が全米ネット となり、西海岸に住む若者達は、この番組でダンスの腕を披露すべく、オーディションの列を作ることになります。
Soul Dance(ソウルダンス)
1977年公開の映画「サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever)」が全米で大ヒットして、ダンスミュージックの人気は上がり、それにともなって、ソウルダンスも日本にも輸入され、本国とはまた違った振り付けなどのオリジナリティを混ぜながら進化し、今日にいたります。
Lockin’(ロックダンス)
こうした時代の中で、ふとした偶然から生まれたダンスが、Lockin’(ロックダンス) です。
ドン・キャンベル(Don Campbell)という人が、当時流行していた、Funky Chicken(ファンキー・チキン)という振り付けを、上手く踊ることができず、それがオリジナルのスタイルとなって、Lockin’と呼ばれるようになったというのは超有名な話です。
その後、ドン・キャンベルは、1970年に「The Lockers(ザ・ロッカーズ)」というダンスチームを作り、1972年には、SOUL TRAINで注目を浴びました。
鍵をかけるように体を静止させたり(Lock)、観衆を指さしたり(Point)、ピエロのような衣装を着て、おもしろおかしく振る舞ったりするダンススタイルを確立していきました。
以下の記事では、ロックダンスの初心者さんに向けて、基本ステップと練習方法を解説していますので、よかったら参考にしてみて下さい。
Poppin’(ポップダンス)
同じく西海岸で、カリフォルニア州フレズノ出身の兄弟、ブーガル・サム(Boogaloo Sam)と、ポッピン・ピート(Poppin’ Pete)が新しいダンスを作り出しました。
1960年代の未来映画からヒントを得た、「ロボットダンス」をベースに、全身の筋肉を弾くような動き(Pop)を加えた踊りを、1978年に、ブーガル・サムが作りました。
その後、サムとピートは、「Electric Boogaloo Lockers(エレクトリック・ブガルー・
以下の記事では、ポップダンスの、より詳しいジャンル説明と、基礎練習方法について書いていますので、よかったら参考にしてみて下さい。
Waacking(ワッキング)/Punking(パンキング)
同じく、1970年代に西海岸で生まれたストリートダンスに、Waacking(Punking) があります。
もともとは、ロスのゲイカルチャーの1つで、1970年代初頭からあったと言われていますが、ダイアナ・ロス(Diana Ross)がこのスタイルのダンサーをバックダンサーとして起用したり、「SOUL TRAIN」の中でこのスタイルが広まったことにより、普及されました。
HIPHOP東西戦争
1990年代頃から、東海岸を代表するショーン・コムズ(パフ・ダディ)が代表を務める、バッド・ボーイ・エンターテインメント(ノートリアス・B.I.G.などが所属)と、西海岸を代表するスヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)、2パック(2Pac)などが所属するデス・ロウ・レーベルとの対立が有名なように、両海岸のアーティストたちはお互いを牽制、威嚇、卑下し合いました。
ノトーリアス・B.I.G. 参考:
ノトーリアス・B.I.G.の死から20周年、故郷ブルックリンに記念バナー設置 | ガジェット通信 GetNews
※スヌープ・ドッグ 参考:
ダンスの情報サイト Dews(デュース)
※2パック 参考:
2パック、ヒップホップ史を塗り替えた8つの革命 | Rolling Stone(ローリングストーン) 日本版
その内容はラップの歌詞にも現れ、それぞれの地域のギャングや、マフィアを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展しました。
この東西抗争が原因で、2パックと、ノートリアス・B.I.G.という両海岸を代表する有能なMCを、ともに銃撃事件で失うことになってしまいました。
この事態を重く見たHIPHOP業界で最も成功したといわれるプロデューサーのドクター・ドレーが、沈静化に努力し、現在は個人間の中傷を除いて、沈静化しています。
HIPHOPの世界進出
その後、スヌープ・ドッグや2パック、エミネムなどのHIPHOPアーティスト(MC)のメジャーヒットや、映画「フラッシュダンス(Flashdance)」のワンシーンを火付け役に、ブレイクダンスをテーマにした映画「ビート・ストリート(BEAT STREET)」などの公開で、世界的にHIPHOPミュージックや、ブレイクダンスが流行し、HIPHOPは世界各国に広まるようになりました。
近年ではグラフィティに高いアート性を評価する動きもあり、更なるHIPHOP文化の発展が進んでいます。
1980年代
1980年代初期、ヒップホップカルチャーを題材にした映画が何本も制作され、世界の若者の心をつかみます。メディアは、街角から発生したヒップホップを、ストリートカルチャーとも表現しました。
脚光を浴びたヒップホップは、活動の場を変化させ、街角のアンダーグランド(裏舞台)からメインストリーム(表舞台)へと動き始めました。
続々と登場するラップアーティストは、ヒット曲を量産し、DJは、街角からスタジオへ移動して広く音楽制作に関わっていきます。
これまでスプレー缶による落書きとされていたグラフィティは芸術として、アートシーンで語られるようになります。そして、ブレイクダンスや、ダンサーは、テレビやスクリーン、舞台でも見られるようになりました。
そうした1980年代の中頃、2つのダンスミュージックスタイルが生まれました。
アメリカ、シカゴのDJが70年代フィラデルフィアソウルのリズムをヒントに、腹に響く重低音ビートを延々とループさせた、今までとは違う ハウス・ミュージック(House Music)。ニューヨークのダンスクラブにも広まり、世界へと広がりました。
ハウス・ミュージックを知りたい方は、下記を参考にしてみて下さい。
1980年代後期、歌とラップを融合させた、ニュージャック・スウィング(New Jack Swing) が流行しました。日本、ダンスが上手な歌手のボビー・ブラウン(Bobby Brown)と、ラッパーでダンサーのMCハマー(MC Hammer)が大人気に。とくに彼らの、ダンスとファッションに注目が集まりました。
若者たちの生活にも大きく影響してダンスブームを引き起こし、ダンスが競われるテレビ番組も、人気になってダンス人口を急増させました。
でも、このニュージャック・スウィングという名前が定着するのは、1990年代初めになってからのことでした。それまでは、ラップのヒップホップと、歌のソウルを合わせて、ヒップホップ・ソウル(Hip Hop Soul)とも呼ばれていました。
このこともあり、カルチャーのヒップホップとは別に、こうした音楽で踊るダンスのことを、ヒップホップダンスと呼ぶ人が増えていきます。それが大きく広まって、現代のヒップホップダンスにいたりました。
日本のヒップホップダンスの歴史
日本におけるヒップホップは、常にダンスがその中心にありました。ヒップホップカルチャーが日本に紹介される前にも、黒人の熱狂的ダンスの支持層は、常に日本にいました。
前述でお話しした、SOUL TRAIN(ソウル・トレイン)は日本でも放送され、ソウルダンスに熱中する人も多かったようです。その中でも、大阪の、テディ団さんは、世界ディスコダンスコンテストで3位になり、話題となりました。
これらのソウルダンスは、日本のダンス文化の基本となったと言えるでしょう。現に、今活躍中のヒップホップダンサーの中にも、このソウルダンス出身者も多いです。
日本で大きくヒップホップが広まったきっかけは、なんといっても、1983年の映画「フラッシュダンス」でしょう。
この映画は、ヒップホップ映画ではないですが、シーンの一部に、子供達が路上でブレイクダンスや、ポップダンスをしています。そのシーンが、見ている人に大きな衝撃を与えたことで、ブレイクダンスをする人が急増しました。
この映画公開のあとに、ワイルドスタイル、ビートストリート、ブレイクダンス1、ブレイクダンス2が、たて続けに公開され、多くのダンサーに影響を与えました。
1983年には、ニューヨーク出身の、ブレイキングクルーの、「ロック・ステディー・クルー(Rock Steady Crew)」が日本に来日して、映画「ブレイクダンス」で有名になったターボこと、ブーガル・シュリンプ(boogaloo shrimp)もプロモーションで来日、日本のヒップホップカルチャーを盛り上げました。
これらのダンサー以外にも、当時アメリカで活躍していたダンサーが日本に呼ばれ、当時の日本のダンスシーンに大きな影響をあたえました。
中でも、映画「ブレイクダンス」に出演していた、ポッピン・ピート(Poppin’ Pete)や、スキ―タ―・ラビット(SKEETER RABBIT)達は、頻繁に来日していました。
当時、各都市で活躍していたクルー(ダンスチーム)は、福岡では「ビー・バップ・クルー(BE BOP CREW)」、博多では「インペリアル(Imperial)」、大阪では「O.G.S」や、マシーン原田さんの、「エンジェル・ダスト・ブレイカーズ(Angel Dust Breakers)」、東京では「ファンキー・ジャム(Funky Jam)」などがありました。
エンジェルダストブレイカーズには、あのナインティ・ナインの岡村さんも所属していたことで有名です。
そのあと、ZOOを生み出したTV番組「DA DA L.M.D」(TV朝日)や、現在、TRFのダンサーを務めるサムや、チハルがレギュラーダンサーとして出演していた「ダンス・ダンス・ダンス」(フジTV)などが始まり、そのムーブメントは流行に敏感な若者の間に広がりました。
また、日本における「ブレイクダンス」に次ぐ、第2次ダンスブームに、最も貢献したのはなんと言っても「天才たけしの元気が出るテレビ」の、ダンス甲子園のコーナーでした。
他の、2番組が深夜番組であり、全国ネットでなかったのに対し、このダンス甲子園は全国ネットで、日曜日の20時という時間帯、そしてもともと、「天才たけしの元気がでるテレビ」が人気番組であったことから、高校生を中心にダンスが爆発的なブームとなりました。
番組自体の、ヒップホップカルチャーに対する理解はあまりなかったように思いますが、現在、第一線で活躍しているダンサーで、この番組に出演したり、番組をきっかけにダンスを始めた人も多いです。
このブームは1年半ほどで終わり、ダンスを、やめる人も大勢いましたが、この文化にはまり、その世界にどっぷりつかる人も多くいました。
ブレイクダンス時代から、ダンサーと一緒に、こういった人たちが日本のストリートダンスを、たんなる流行のものからしっかりとした文化として日本に根付かせていきました。
ダンスの歴史や由来を学ぶメリット
ダンススタイルというものは、一朝一夕には生まれたものではありません。誰かが、色々な動きを生み出して、周りに広がっていきました。
そこからダンスシーンが生まれて、より洗練されて、スタイルが確立されていきます。
最近では、ダンススタイルや動きを、ダンスDVD や、ダンススクールなどで、簡単に学べる時代になったことは、良い事ですが、ダンスの由来や歴史など、ダンススタイルのはぐくまれた環境を知るだけでも、踊る時の気持ちが分かったりもします。
ダンスの歴史や由来を学ぶことで、ダンスの動きにも重みや、雰囲気も出てくるので、是非、知って欲しいと思います。
【まとめ】ストリートダンスとヒップホップダンスの歴史のまとめ
さて今回は、「ストリートダンスとヒップホップダンスの歴史」についてご紹介してきました。
ここまでご説明してきたように、今日踊られている多くのジャンルのダンスは、実は1970年代から存在しています。
新しいダンスの流行りは、今のところニュースクールに分類されます。日本では、ニュージャックスイングを、ミドルスクールと分類しますが、これは日本独自の分け方で、実際の所アメリカでは、オールドスクールか、ニュースクールでダンスを分けます。
また、ポップダンス、ロックダンス、クランプなどのダンスは、そのダンスを作った人(創始者)がいて、自然に生まれた、ダンススタイルとは異なります。
また、ソウルダンスや、ヒップホップダンスを総称して、ストリートダンスと呼ばれるようになったのは、1980年代後半に、ストリート文化としてヒップホップカルチャーが一般化したからのことです。
※万が一、記載内容に誤りがあった場合はご指摘頂けましたら幸いです。
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